SFコメディを装った社会派映画!?「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」レビュー

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※ネタバレあり

パブ巡りをするために20年振りに集まった幼馴染たちが、故郷の町で異星人の侵略と闘うハメになり、、、という話。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホット・ファズ』の、
サイモン・ペグ、ニック・フロスト、エドガー・ライトのトリオが製作する映画の3作目。

これらには、「スリー・フレーバー・コルネット三部作」という名前があるらしい。

主人公のゲイリー・キングを演じるのは、もちろんサイモン・ペグ。
『スター・トレック』『ミッション・インポッシブル』『スター・ウォーズ』などの大作映画に次々と出演し、見事にスターの仲間入りをしている。

ゾンビにレコード盤を投げつけていた人がよく出世したものだ。

幼なじみの親友のアンディ役にニック・フロスト。

その他の幼なじみ役に、
『ホビット』シリーズのマーティン・フリーマン、
『007』5代目ジェームズ・ボンドのピアース・ブロスナン(!?)などの有名どころが出演している。

そして、翌年公開の映画『ゴーン・ガール』で、数多くの映画賞にノミネートされることになるロザムンド・パイクもゲイリーの昔の彼女役で出演している。

トリオが有名になったので、集まる俳優も豪華だ。

主人公のゲイリー・キングは生粋のトラブルメーカー。
彼の幼なじみ達は、年齢なりの経験を積み、それぞれ仕事・家庭を持ち真面目な生活を送っている。
しかし、ゲイリーだけは昔と変わらず自由を信条としてやりたい放題で、ロクでもない人生を送っていた。

ゲイリーは若い頃に達成できなかった、「町にある12件のパブを一夜で巡る」ことに強いこだわりを持っている。
地元の町が異星人に支配されていると発覚してもなお、逃げることを拒みパブ巡りに執着した。

このゲイリー・キング、過去に捉われた哀れな大人という面がかなり強調されている。

他の幼馴染は、ある程度の成功者なのでその印象はより強い。
ここまでの強調から、この映画は何を伝えたいのだろうかと考えさせられた。

自由を謳歌し過ぎた人間の末路としての反面教師か?
自由を貫いて生きることへの憧れか?

おそらく前者だろう。
あの描写は憧れを抱かせるようには見えない。

人のふり見て我がふり直せ。
自由とロックを愛したイギリスには、ああいう種類の大人が多数いるのかもしれない。

とはいえ、映画では、自由を謳歌するゲイリーが宇宙人の築いた管理社会に勝利する。

そして勝利の結果、文明は崩壊し世界は荒廃する。
コメディにしては大袈裟過ぎる結末だ。

人間をロボットに作り変えて管理下に置く宇宙人は、自身をネットワークと呼んだ。
この映画は、ネットワークによって管理された社会では、人間はロボット同然だということを言っているのかもしれない。

元人間であるロボット(外側だけで中身は空洞)たちは、管理されていることに幸せを感じており、自らは奴隷ではないと主張する。

奴隷と意識させずに使役する。
理想的な管理方法ではないか。

日常でも、不自由さの代わりに便利さを与えられることで、過度に不満がでないように管理されている感じを受けることがある。

では、誰に使役されているのか?

我々、現代社会の自覚のない奴隷たちは、自分のため家族のためと労働しているが、実はこれら全ての社会活動は、誰かわからない一部の管理者達のためかもしれない。

映画の結末のように管理されることを拒み、自由に生きることを選択したらどうなるか?
勿論、映画と同じ末路を辿ると思う。

社会というルールを失えば、あるのは混沌とした世界だけだ。

映画は極端過ぎるが、多数が自由を謳歌すれば社会が壊れ、多数が管理社会を望めばロボット同然というのは、間違いではないと思う。

それは、個人の人生に落としこんでも同じだ。
自由に生きていてはゲイリーのように人生が壊れ、管理を望めば現代社会の大多数の人達だ。

と、ただのSFコメディを鑑賞しているつもりだったが、いろいろ考えさせられてしまった。
勝手に深読みし過ぎだろうか?

いや、この映画は間違いなく、SFコメディを装った社会派映画だ!

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!(原題:The World’s End/2013年/イギリス)


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